
東京で生まれた谷崎潤一郎は、関東大震災後に関西へと移住後、昭和6年に母性思慕の主題を深めたとされる「吉野葛」や昭和8年の本質的な唯美主義を描いたとも言われる「春琴抄」など代表的な作品を世に送り出しました。
「蓼喰う蟲」は谷崎潤一郎の代表作の一つで、昭和3年より大阪毎日新聞と東京日日新聞に連載されていたもので、実際に執筆していた当旅館(当時:なべ籐)も登場しております。また人形浄瑠璃の魅力に引き込まれ、ひとりの女性を人形のように魅力に感じるといった作品でもあります。
この作品後に訪れる日本回帰の志向があり古典主義時代の予兆としてとることができるといわれています。
晩年は老いと戦いながらも執筆活動を続け、「過酸化マンガン水の夢」「鍵」など傑作を発表し、その文名は高まりました。
谷崎潤一郎氏のような芸術性が高く、幅広い作品を生み出すことは、様々な文化への深い理解と漢語・雅語や俗語・方言などの教養があったことを思わされます。
谷崎 潤一郎氏が「蓼喰う虫」を執筆した際に使用した机
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